LE ROI SOLEIL
モーマス作詞1,カトリーヌ作詞作曲3と得意のフランス勢で固めつつ,日本語詞5でも,かのウィスパー・ヴォイスを遺憾なく発揮。A新聞紙上で主題歌にふさわしいかどうか論争を巻き起こした(笑)『ちびまる子ちゃん』テーマ曲がボーナス・トラック。 1990年代前半を語るうえで絶対に避けて通れないのが、「渋谷系」というタームだろう。コーネリアス こと小山田圭吾 、今年2月に5年ぶりのニュー・アルバムEclecticをリリースした小沢健二 が結成していたフリッパーズ・ギター 、現在は田島貴男 のひとりユニット化しているオリジナル・ラブ 、2001年1月1日にリリースされたアルバムさ・え・ら ジャポンとともに解散したピチカート・ファイヴ 、日本語によるラップ・ミュージックを確立したスチャダラパー などの「渋谷系」アーティストは、音楽を聴くこと自体がひとつのファッションを形成するという、それまでの日本の音楽シーンにはなかったある種の空気を確実に作り出していた。「渋谷系」とはいったい何だったのか、今振り返ってみたい。 なかでも強烈な影響力をもっていたのが、フリッパーズ・ギター とピチカート・ファイヴ だろう。アズテック・カメラ 、オレンジ・ジュース 、ペイル・ファウンテンズ といった80年代のギター・ポップ~ネオアコの流れを汲むフリッパーズは、(雑誌「オリーブ」の表紙を飾るような)高感度なファッション性と鋭い批評眼からくるシニカルで的確な発言(ふたりそろって、文章も抜群にうまい)、映画・小説などへの深い造詣などにより、大きなムーヴメントを生みだした。フリッパーズ解散後も小山田圭吾 と小沢健二 は、それぞれキャッチーな作品を発表しつづけ、渋谷系の中心であり続けることになる。 渋谷系がその後の音楽シーンにもたらした影響は(功罪ともに)非常に大きいが、もっとも注目すべき点は、渋谷系アーティストが使う“元ネタ”によって、リスナーのセンスや音楽的知識が向上したことにあるのではないか。ラブ・タンバリンズ 、カヒミ・カリィ 、ネロリーズ 、b-flower などの優れた音楽性をもつアーティストが活躍できたのも、リスナーの側に彼らの音楽を理解する“耳”が備わっていたことが大きいと思われる。 また、渋谷系のオジリネイターともいえるフリッパーズ・ギター のふたりが21世紀に入り、自らの心象風景をみずみずしい音像で描いたpoint(コーネリアス/小山田圭吾 )、ブラック・ミュージックの素養をさらに深く血肉化、まったく新しい形の日本語のポップスを作り上げたEclectic(小沢健二 )と、優れた作品を届けてくれたことは、今後の音楽シーンにとって、きわめて意味のある出来事だったと思う。 いま考えてみると「渋谷系」は、真にオリジナリティのある日本のポップスを生み出すための、意義ある“実験”ではなかったか。その実験結果が、聴く者の心をときめかす音楽となれば、こんなにすばらしいことはない。