サーカス
小档案 叶 正子 (かのう まさこ、長女、1952年6月23日 - ) AB型で熊本県出身。ビートルズが好きでファンクラブに入っていた。サーカスとして活動する前は、弟・高の誘いで、72年ヤマハのオーディションに合格し、ヤマハの研修生となった。明治学院大学仏文科に在学しながら渋谷のヤマハエピキュラススタジオでヴォーカルレッスンを受ける。研修生時代、他の女性研修生2名と「ピーマン」というユニットを組みレコードデビューしたこともあり、この中の一曲「部屋を出て下さい」は、正子と同じくヤマハの研修生だったこともある根本美鶴代(現・未唯)と増田啓子(現・恵子)、後のピンク・レディーがオーディション番組『スター誕生!』(NTV系)のテレビ予選と決戦大会で歌唱している。 ステージでのトークは緊張しすぎで、見ている者をハラハラさせる。コンバースの靴が好きで全色集めている。ケーキを食べながら日本酒を飲むらしい。以前、お誕生日のケーキを食べている写真にワンカップが写ってしまったことがある。2004年にあらためて新人としてソロデビューし、サーカスがオフの期間にはソロシンガーとして活動を続けている。 叶 高 (かのう たかし、長男、1954年7月26日 - ) AB型で福岡県出身。サーカスのリーダー。サーカスとして活動する前は、俳優を目指しており、日大芸術学部演劇学科で芝居の道に入り新劇、喜劇、ミュージカルなどを経験。 文部省から後援を得て山間部の学校で劇をしたり、遊園地でちびっ子ショーをしていた。カーペンターズには涙なしには語ることができない思い出がある。その理由はコンサートでときどき話している。ステージではファンサービスのために、わざわざイマイチなギャグを言ったり、姉の年齢をギャグのネタにしたりする。自らがオカマに扮する「ラブソングはひげそり後に」では俳優志望だった頃の経験が物言い、ファンを独自の世界に引き込んでいる。 原 順子 (はら じゅんこ、次男の妻、1956年3月2日 - ) A型で東京都出身。サーカスに加入する前は、アマチュアでバンド活動をしていた。ポプコンに出場した経験もある。オーディションで選ばれてサーカスに加入することが決まった時、ゾウやライオンが出てくるサーカスと間違えられて母に泣かれてしまった。ハワイアンに造詣が深く、専門誌の「月刊ハワイアンウェーブ」に連載を持っていた。メンバーの男性陣に対して「おなかが出てはいけない」というのが口癖だが、料理を大皿で作ったり、おいしい物を食べに行ったりするなど行動が矛盾している。姉さん女房であるがあえてそれを指摘する人はいない。 ソロ活動で夫の央介と"J&O"というユニットを組んでいる。 叶 央介 (かのう おうすけ、次男、1956年9月27日 - ) AB型で福岡県出身。中学時代に吉田拓郎に出会い音楽に目覚めギターを始める[2]。その後「サイモン&ガーファンクル」「タイガース」など洋楽・邦楽を問わずコピーを続け、サーカス加入前は、フォーク歌手を目指していた。 1984年-1988年は、一時的にソロ活動をしていた。 ONE VOICE(サイモン&ガーファンクルの作品)の日本語訳をするなど、サーカスの作品の作詞を多くしている。 時折ギターも演奏し、繊細な音色を奏でる。 旧メンバー 卯月節子 (うづき せつこ、従姉) 現在はソロ活動。 嶋田徹 (しまだ とおる、血縁関係はない) 現在はソロ活動。 小简介 サーカスは、1978年にデビューしたコーラスグループである。