V2
小简介 市川哲史による小室哲哉へのインタビューによると、話を持ちかけたのは小室。当時セールス面で小室のバンド、TMNは全盛期の勢いを失いつつあったのに対し、YOSHIKIのバンド、X(後にX JAPAN)は昇り調子だったため、その勢いに乗ろうという目論みが小室側にはあり、シングル1枚リリースするという前提で2人が合意。 当時、XはCBSソニー、TMNはEPICソニーと、別々のレコードレーベル所属で、YOSHIKIと小室がそれぞれ自らのレーベルの社長へ直談判し、日本の音楽シーン史上おそらく初めてのレーベルの垣根を越えた音楽ユニット結成[2]を実現させた(ただし当時は両レーベルともソニー・ミュージックエンタテインメント内の一部門であり、法人格としては同じ会社に所属していたため、ユニット結成への障害は比較的少なかった)。THE ALFEEの高見沢俊彦も参加する予定があったが、高見沢が当時所属していたレコード会社はポニーキャニオンであったため、実現しなかった。 ユニット名は第二次世界大戦中にドイツが開発したV2ロケットから取られている。 小室哲哉は、このV2プロジェクト実現のための舞台裏作業を一手に引き受けたが、そのことが彼にプロデュース業の面白さを教えることとなり、後の小室ブームを生み出すきっかけとなった[1]。 小室とYOSHIKIの関係はその後も続き、2002年にはYOSHIKIが小室のユニットであるglobeに加入した(2005年よりYOSHIKIを加えた活動時はglobe extremeを名乗る)。 V2としての活動はその後一切行われていないが、2007年12月16日に小室哲哉が自身のMyspace.comブログで「possibilityとしては0%か100%だけどYOSHIKIと先日TELでV2を必ずやろうと盛り上がりました。」と書いている。