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真島昌利

真島昌利

小档案 真島 昌利(ましま まさとし、1962年2月20日 - )は、ロックバンド、ザ・クロマニヨンズ(元ジョニー&スリー・クール・キャッツ、THE BREAKERS、THE BLUE HEARTS、THE HIGH-LOWS)のギタリスト。愛称は、「マーシー」(学生時代は、「マッシー」)。トレードマークは、バンダナ。東京都日野市生まれ、東京都小平市花小金井育ち。魚座。血液型はB型。兄が1人いる。 有限会社HAPPY SONG社長。既婚。 小简介 ギター演奏はチャック・ベリーやローリング・ストーンズのキース・リチャーズに影響を受け、ソングライターとして相棒の甲本ヒロトと共に多くのヒット曲を手がけている。特に詞に関しては、シンプルな言葉を使いながら、奥の深い表現を醸し出し、独特の世界観を表現している。「チェインギャング」に代表されるメランコリーな世界と、ソロ・デビュー・アルバム、『夏のぬけがら』に代表されるノスタルジーな世界が、真島の世界観を構成している。 THE HIGH-LOWS以降は、シュールな歌詞が多くなっている。また、放送禁止用語が歌詞の中に含まれていることがあり、『終わらない歌』では歌詞が一部削除され、歌詞を聴き取りにくくするよう処理されている。「ガタガタゴー」でも同じく歌詞を削除され、該当部分にはノイズが入っている(ただしライヴ盤では無修正)。 ブルーハーツ、ハイロウズで作詞・作曲を手がけた主な曲には、「ハンマー」や「チェインギャング」「TRAIN-TRAIN」「未来は僕等の手の中」「青空」「夢」「1000のバイオリン」「相談天国」「青春」などがある。 また、自分の趣味や好物、育った地域がモチーフになった曲も多い。 野球が好き→「ホームラン」「夏の朝にキャッチボールを」、カレーが好き→「カレーライスにゃかなわない」「カレーうどん」、夏が好き→「夏が来て僕等」「夏なんだな」、バイクが好き→「風のオートバイ」「オートバイ」「オートバイと皮ジャンパーとカレー」、多摩地区が好き→「花小金井ブレイクタウン」「真夜中過ぎの中央線」「多摩川ビール」など。 バンドではギターだけでなくヴォーカルを担当することもある(THE BLUE HEARTSの頃は一つのアルバムに大抵1曲、多くて2曲ほど収録されていたが、THE HIGH-LOWSではアルバムに入っているかいないかくらいであり、クロマニヨンズでは2011年現在1曲もない)。 ソロではサックス、オートハープをこなすなどギター以外の楽器もこなすが、口笛は苦手である。「荒野はるかに」のイントロで口笛を吹くというアイディアを提案し実行するが、いくら吹いてもスースーと音を立てるのみに終わり結局、甲本ヒロトが担当した。 ギブソン・レスポールを愛用。 ピッキングスタイルは、中指と親指でピックを持って弾く。 現在「GRETSCH G6138 ボ・ディドリー シグネイチャー モデル エレキギター」を愛用しているが、詳細は不明。他のギターも使用している。 トレードマークともいえるバンダナは、キースに影響を受けたものである。ブルーハーツを結成して間もない頃、汗が垂れてこないようにと巻き始めた。ちなみに、ブレイカーズ時代の髪型はオールバック。ハイロウズ活動休止発表後の一時期、モヒカンにしていたこともある。 ブルーハーツのメジャーデビュー直後に良く着用していた夕刊フジのエルビス・プレスリー死亡時の1面記事、中原中也の「宿酔」の詩の一部がプリントされたTシャツは、特注で作成してもらったもの。ただし真島は、雑誌のインタビューで「(作成した)友達が金に困ってて原宿の店とかに卸しちゃった。」と語っており、一般に出回った可能性もあるとのこと。 「ダウンタウンのごっつええ感じ」「笑う犬の生活」に出演したことがある。 読売ジャイアンツのファン。 かつては喫煙者で、雑誌のインタビューの写真、楽屋や移動時の映像等では煙草を咥えてることが多かったが、現在は禁煙している。 大事件 1965年、それまで住んでいた池袋から花小金井に引っ越す。 1974年、友達の家でビートルズのレコードを初めて聴いたのがきっかけで、ギターを始める。モーリスの1万円のフォークギターを購入。 1975年4月13日、秋葉原で初めてエレキギター(グレコEG480 レスポール・モデル)を購入。 日付まで覚えている理由は、ギターを買いにいく際、友人を誘うと「今日はキャロルの解散コンサートに行くからダメだ」と断られ、結局父親に付き合って貰ったというエピソードから、ちなみに秋葉原でエレキギターを購入したのは、エレキギター=電気製品、電気製品=秋葉原という考えがあったからとのこと。 1976年、中学校の文化祭で、人前で初めて演奏。池袋の西武百貨店が開催したアマチュア・バンド・コンテストに、ジョニー&スリー・クール・キャッツというバンドを組んで出場。真島は、ボーカル&リズムギターを担当。コピーを2曲演奏したが、バンドはこの日のライブ1回のみで解散する。 1980年、東京都立久留米西高等学校を卒業後(同級生に宙也がいた)、地元でバンド、THE BREAKERSを結成。 1985年1月25日、THE BREAKERSを解散。 1985年2月、ほぼ同時期にザ・コーツを解散していた甲本の楽曲やパフォーマンスに、後に「僕、ヒロトのファンだった」と語るほど衝撃を受けていた真島は、当時、甲本が住んでいた笹塚の廃屋(工場跡)でのパーティーの際、バンド結成をもちかけ、1985年にTHE BLUE HEARTSを結成した。その後、真島もギターと家財道具を持って工場跡に引っ越す。なお、ブレイカーズ時代、原宿の歩行者天国で甲本と河口純之助とでセッション・バンド(ラモーンズのコピー)をやったことがあり、面識は以前からあった。 1987年に、「リンダリンダ」でTHE BLUE HEARTSはメジャー・デビュー。その後も、「TRAIN-TRAIN」「情熱の薔薇」などがヒットし、日本を代表するバンドの中心メンバーとして人気を集める。 1989年、ソロ・デビュー。1994年までの間に、計4作のソロ・アルバムをリリースする。 1995年のTHE BLUE HEARTSの解散後、同年、甲本と新バンド、THE HIGH-LOWSを結成。 2005年に、THE HIGH-LOWSの活動休止を発表。その後、甲本のソロ・シングル製作に参加。 2006年、再び甲本と共に新バンド、ザ・クロマニヨンズを立ち上げる。現在も精力的な活動を行っている。

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